海岸に沿って走る列車

[次の順序で読んで下さい。]
 1.一人でエス会事務所を出る
 2.海岸に沿って走る列車
 
Plano: 〔de Valencia (Nord, Hispanujo (08:35)) al Beziers (Francujo)(19:12)〕
Realo: 〔de Valencia (Nord, Hispanujo) <Produkto=Talgo460, Coche=1, Plaza=09A (13:08)> al Bezieres (Francujo) (20:28)〕
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 バレンシア駅の外では太陽が輝いていて、みんな帽子を被っていた。私も野球帽を被ってきたが、昨日の観光散歩で、汗が額や首筋から流れていた。今日も暑い日に違いない。幸い汽車の中でベシエ(フランス)に着くのは20時過ぎだと分かり、助かった感があった。
 列車が走り出すと暫くして海岸沿いに出た。岩場の海岸線も続いていたが、長い砂場の海水浴場が何ヶ所も見えた。キャンピングカーが林の中に何台も止まって駐車していた。泳いでいる人の数は多くはなかったが、実に楽しそうに見えた。

 最初の計画では、ポルトガルへ行き、地中海に沿ってスペインに戻り、イタリア南部へ船で行くのも考えたが、その先の訪問地をかんがえると日数が掛かりすぎて、世界エスペラント大会に間に合いそうにないので諦めた。しかし、イタリアの南部、シチリア島の入口パレルモまで行きたいと考えていたのだが、受入者が全く見つからず、北のスイスへ計画を変更していた。

 ベシエ駅まで出迎えてくれたP夫妻は、私の訪問を歓迎してくれた。実を言うとフランス南部のイタリアに近い街コンテには、早くから受入者が見つかったのに、バレンシアからコンテまでの途中では受入者がなかなか見つからなかった。
 そこで世界エスペラント協会の年鑑(JARLIBRO)に登録されている地域の代表者へ支援を乞うメールを送った。あり難い事に、自分の弟がベシエに住んでいるので、コンタクトしても良いとの返事をもらった。その人がP夫妻だったのだ。P氏は既に姉の話で私の情報を手に入れていた。

 パンにジャム、ワイン、チーズ、ハム、野菜サラダの夕食をとりながら、まだ1週間しか経っていない旅行について、私のいろいろな体験を話した。勿論日本の文化や生活についても質問が出た。

 食後に,パソコンを使用させてくれると言うので、立ち上げてもらって、このブログのアドレスを入力すると日本語が画面に現れた。早速入力開始したところ、キータッチが遅い私を見て、P夫人が代わって入力しようかと言ってくれたので、次の受入者ベシエのL夫人に、到着時刻のメールを送ってもらった。これでひと安心だ。

 明日観光に行こうとP氏が話して、今日はもう遅いからと寝室へ案内してくれた。シャワーを浴びて脚マッサージをし、クリームを塗り、ベッドに横になった。明日も晴れるのだろう、満天の星が夜空に輝いていた。私の旅は「ついている」のかもしれなあい。