ブタペスト(ハンガリー)からクラクフ(ポーランド)への夜汽車

Plano: 〔21an; de Budapest (Keleti, Hungarujo)<EC170 (09:28)> al Bratislava (hlavna) (11:58)〕
〔de Bratislava (hlavna) <IC511 (13:35)> al Zillina (15:41)〕
〔de Zillina <334/43008 (15:54)> al Krakow (Pollando) (22:11)〕
Realo: 〔20an; de Budapest (Keleti, Hungarujo)<CRAVOVIA1380, Train=476, Wagon= 361, Place=21[BC−6] (20:03)> al Krakow (GL, Pollando) (05:29)〕
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 最初の計画では、ブタペスト(ハンガリー)から夜汽車でクラクフポーランド)へ行くことを検討した。ところがこの夜行列車では頻繁に盗難が起ったり、不審な男達に金を要求されたり、危険だということが旅行ガイドブックにも書かれていて、ひとり旅は避けたが良いと考えた。
 そこで日中に汽車を乗り継ぐ方法を調べて計画を作り直した。しかし、ブタペストに来てLさんのところのミッキー叔父さんの支援で、乗り換え無しで夜汽車の切符が買えることが分かり、問題が起ら無いことを願いながら夜行列車に決めたのだった。

 今日(20日)も快晴で暑い。身体を休めるために、駅の待合室の長いベンチの上に横になって2時間ほど休憩した。家族連れや、若いグループも待合室を利用していた。若者の数人は部屋の隅に陣取り、リュックを投げ出して床に腰を下ろしたり寝ころんだりして、夏の暑さから逃れるため、石の冷たさを満喫しているかのようだった。

 列車は20時頃発車する。ホームが涼しいのではないかと考え、19時には改札口へ向かった。勿論地下道を通らないと目的のホームに行けない。重い旅行カバンを片手で提げて、長い階段を下りて、上るのは、やはり大変だった。もう4週間も旅行しているのに、カバンの重さは変らない。多分20キロのままだ。

 やっと列車に乗り込んで、切符に記述されている座席を探すと、イタリアの夜汽車と違って、ちゃんとした寝台だった。私のベッドは下段。6人部屋なのだが、まだ他の乗客はいなかった。ここでは旅行カバンを窓の上部に置けるようになっていた。高い位置なので私ひとりで持ち上げるのは無理がある。同室者が来るのを待ち、助けてもらうことにした。

 やがて若い男女(スエーデン人)が入ってきた。2人とも大きなリュックを持って旅をしていた。直ぐに頼んで旅行カバンを上げてもらった。その後また若い男女が入ってきた。こちらもリュックだ。
 女性はベルギー人、男性はオランダ人で、2人は友達らしい。これで5人、あと1人来るはずだ。出発直前に背の高い若い女性が来た。この人はアルゼンチン出身だった。

 私が自分のベッドに座ってしまうと、中段と上段の人たちは、自分のベットに上がるか、通路に立たなければならない。それで私のベッドで休んでも構わないと、身振りを入れてエスペラント語で話しかけた。サンキューといって彼らは座った。最初に入ってきた2人は自分たちのベッドに上がって、分厚い本を読み始めた。

 発車すると直ぐに後で乗り込んだ2人は通路に座り込んで、四角いパンにジャムを塗り、ハムを挟んで食べ始めた。実に旅馴れたものである。ヨーロッパの若者の旅は、こんなものかと感心した。私は通路に立って窓から外の景色を眺めたりしていた。

 食事が済んだ女性が、私に日本語で話しかけてきた。驚いたことに、ちゃんとした日本語である。彼女の話では、一年前に横浜で、半年間ほどトヨタの会社の秘書をしていたという。それじゃ日本語も上手いはずだ。日本語は大学で学んだとか。例のリーマンショックのあおりを受けて、お払い箱になったという。そんなわけでトヨタに対して良い印象を持っていなかった。いろいろ日本のことについて日本語でおしゃべりした。

 下段のベッドを使うアルゼンチン出身の女生と、この2人とトランプをして遊び始めた。しかし広げる場所がない。私のベッドを使ってよいと言ったら、一緒にトランプをしようと言い出した。どうせ私もヒマなので、4人で遊ぶことにした。

 3人とも英語を何とか話せるが私は話せない。私の言葉は世界共通語エスペラントだと言って、少し説明すると、オランダの女性はエスペラント語があることは知っていたが、他の2人は全く知らなかった。ところがアルゼンチンの女性はイタリア語に似ているので、単語は幾らか想像つくというので、兎に角トランプ遊びを始めた。

 ポーカーなど3種類ほどのゲームを何回かすると、今度は何のゲームをしようかということになった。それでは日本のゲームを教えようと言って、ババ抜き、五十一、三十一、七並べを教えた。なかでもジョーカーを使わずに、「1枚だけカード隠して行なうババ抜きゲーム」には、皆んな面白いと言って好評だった。

 やがて10時過ぎたので、ゲームを止めた。私は、まだ遅くまで窓の外の景色を眺めていた。