協力者J氏との出会い

 世界エスペラント大会のスローガンは、「人々の間に平和の橋を作ろう、ザメンホフの今日」だ。エスペラント語創始者ザメンホフ博士の生誕150年を記念した今年(2009年)、いま人々の心の中に平和の架け橋を作ろう、というものだった。

 そのテーマ趣旨について、私個人で何が出来るか考えてみた。そして日本に関することで平和と結びつくものをテーマにしようと探した。結果は【原爆の被爆者に関する写真資料を、大会参加者へ無料で贈呈する】ことに決めた。

 6月下旬には私は旅行を開始している。従って印刷はポーランドでやるしか方法がない。エスペランチストたちの地域代表者が名前を連ねている冊子(年鑑:JARLIBRO)の中に、印刷業をしている男性がみつかり、その人とインターネットで何度も打ち合わせをして、大会前々日の今日20時、このホテルで会う約束になっていた。

 部屋から廊下へ出て、その人へ電話しようと歩き始めたところに、「サるートン(こんにちは)」と声を掛けた男性がいた。私の名を呼んで、どこへ行くのかと訊ねたので「J氏に電話するため、フロントへ行くところだ」と私は答えた。するとその男性は「そのJは自分だ」という。何ということだ。彼はブログで私の顔を知っていたが、私は全く彼の顔を知らなかったのだ。

 夕食は済んだかというので、まだだと答えると、このホテルの食堂で何か食べよう、と私を案内してれ、軽い食事をご馳走してくれた。
 明日(25日)夕方、イベント会場で、印刷された資料を彼から受け取る手はずにしていたが、その時間が、まだはっきりと決まっていなかった。遅くとも17時には必要なので、16時半に大会事務局の前で受け取ることにした。

 実は彼は奥さんと一緒に、遠く離れたドイツとの国境に近い街ビドゴシチから、一日掛けて車で荷物を運んでくれたのだった。当初は25日朝から住んでいる街を出るというので、渋滞や事故でイベント会場に着くのが、大会見本市開催時間の17時より遅れた場合、私の計画は全く無駄になってしまう。それで1泊分のホテル代20ユーロを私が出すので、前日の24日に来て欲しいとお願いしたのだ。つまり二人分で40ユーロ出すことにしたのだった。

 こうして無事に私達は協力者として出会うことが出来たのを喜んだ。