クラクフ(ポーランド)からビアりストック(ポーランド)へ

Plano: 〔de Krakow (Central, Polland) <31106/31107 (10:00)> de Walszawa (Centralna) (15:25) al Bialystok ()17:55〕
Realo: 〔de Hrakow (GL, Polland) (10:10) al Bialystok (17:55)
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 部屋の片付けをして、忘れ物が無いか点検し、受付係員にお礼を言って、学生宿泊所を出た。大通りまでは旅行カバンを押したが、大道りでタクシーがつかまらない。しばらく歩きながらタクシーが通るのを待っていたが、どれにも客が乗っている。どうも道路で捉まえるのは無理だと分かった。

 ぐずぐずしていたら汽車に乗り遅れてしまう。直ぐに電車に乗ってクラクフ駅近くまで行き、歩いて駅舎へ向かった。
 ところが、乗車するホームの場所へ行く道が分からない。何度か駅にいる人たちに尋ねながら、やっと分かったのは、一旦駅舎の外へ出て50m程歩き、地下道を通って目的のホームへ行かなければならなかった。それも地下道でワルシャワ方面のホームはどこかと聞くと、三人目の若い女性が指さして教えてくれた。

 やっと列車に乗り込むと乗客数も多い。自由席のため座席指定券はない。つまり私は日本で購入してきた東ヨーロッパ地域用のレイルパスを見せるだけである。

 座った6人掛けの部屋には私とあと2人だけ。しばらくすると年輩の夫婦が入ってきた。席は空いているかと訊ねられたようなので、「ボンボーれ(どうぞ)」と言ったら「あなたはエスペランチストか」と言う。そうだと答えて「世界エスペラント大会へ行くのか」と聞いたら、男性がそうだと答えた。どうも奥さんもエスペラント語を話せるようだった。

 どこから来たのだと訊かれたので「日本から2ヵ月間のヨーロッパ旅行中で、世界大会にも参加するのだ」と返事した。私達の部屋は5人のままで発車した。

 夫妻はスペイン人で、日本のどこに住んでいるのかと訊かれたので、福岡県だと言っても分からなかった。そこで、被爆した長崎県の近くだと言ったら、直ぐにイメージが浮かんだ様子だった。本で読んだのだがと前置きして「原爆を福岡に落とす計画だったのに、天候が悪くて長崎に落とされたというが本当か」と彼が私に尋ねた。私もそういう情報を聞いたことがあると答えた。

 列車は2時間ほど遅れ、車掌は5回も切符点検にやって来た。中のひとりはパスポートの呈示を要求した。私の乗車券(パス)には行先など書かれていない。手に取った車掌は、裏まで眺めて何もせず、何も言わずに私へ戻した。

 途中で私達の部屋に入ってきた若い女性は、切符点検のときにパンチされていないことを指摘され、20ズウォティ(約560円)ほど罰金として支払わされた。列車に間に合わなくて駆け込んだので、切符にパンチする余裕が無かったのだと彼女は言ったが、女性の車掌は断固として認めなかった。