エスペラント会事務所

 バレンシア駅に到着すると、他の乗客が先に出るのを待って列車を降りた。ブラットホームを見廻したが私を探している人はいなかった。
 ゆっくりと旅行カバンを押して改札口へ出る少し前まで来ると、笑顔の小柄な、それでいてがっちりした体格の男性が、私の方を見て手招きしていた。彼はきっとエスペランチストだ。

 「サるートン」と云ってから「A氏ですかか」と訊ねると、「そうだ」と返事があった。列車はかなり遅れていて待ちわびたらしい。列車から降りた客がホームにいなくなるので心配して、「日本人は乗っていないのか」と駅員に訊ねていたところだったという。

 日本を出発する直前に約束していたエスペラント会事務所に、自分の車で行こう、と私の旅行カバンを持ってくれたが、その重いのに驚いていた。
 最初の計画では、バレンシアに来て1泊する予定だった。しかし出発前に、A氏がもう1日だけ早く来ないかと誘ってくれたことで、マドリードでの滞在を1日間だけに変更し、今日(29日)からバレンシアに入る最終計画となっていた。

 バレンシア駅から車で10分程で、エスぺラント会事務所に到着し、ビルの直ぐ前の幅の広い道路脇に駐車した。分厚い鉄枠の門扉をカギであけ、入り口の内側にある電灯のスイッチを入れ、古い建物の石の階段を3階まで上った。勿論私が旅行カバンを持った。

 しかし最初の街パリと同様に、階段の1段が高い。事務所の前の踊り場は余り広く無かった。体重を掛けてドアを内側へ少し押し付けて、カギを廻さないと開かないのだとA氏は説明し、鍵をかけて私に明け閉めの練習をさせてくれた。テクニックが入るのだと彼は笑った。

 エス会事務所はこの古い建物の一戸分で内部はとても広く、ひと家族5〜6人が十分暮らせるほどだった。部屋の一方の壁に置かれた長い書棚に、沢山のエスペラント図書や資料があった。
 事務所でも寝ることができるとA氏が言っていたので、私は一人でゆっくりしたり、洗濯もしたいので、事務所に泊りたいと話した。
 ビニールネットが張られた鉄パイプベッド(日本で「ボンボンベット」と呼んでいたように記憶している)が部屋の隅の壁に立てかけられていた。他に3人掛けソファーベッドもあった。どちらも使ってよいとのA氏の言葉だったが、両方とも埃がかぶっていた。「後でどちらか選ぶから」と、そのときは返事しておいた。

 天井には大型の旧式扇風機があったが、床置きの扇風機も1台あった。トイレも別室だし、小さな流し台もあったがシャワーは無かった。道路に面した大きな鉄の扉と部屋用の2つのカギとドアの開け方の指導を受け、事務所から3分という近くにある食堂へ出掛けた。

 A氏はまだ昼食を取っていなかったのだ。スープとスパゲティとサラダと最後にアイスクリームを、私にご馳走してくれた。味はよく結構美味しかった。バレンシアのオリーブオイルは、世界一良質だとA氏は自慢していた。

 この食堂は中国人の若い夫婦が経営していた。エス会の会合が終わると、いつもここに来てビールを飲んだり食べたり、時間を過ごすのだと、A氏は説明した。顔馴染みの主人は気軽にA氏に挨拶し、注文を聞いて間もなく食事を持ってきた。私達は2人で1時間ほど雑談し、明日は別の仲間が午前中街を案内してくれる予定だと告げて、彼は車で帰っていった。