インターネットで中国と交信

 ゆっくり雑談をしながら、A氏と夫人と彼の母親と私の4人で、賑やかにご馳走をいただいた。やがて16時過ぎになると、テーブルを離れていたA氏が、こちらの部屋へ来いと私を呼びに来た。

 6月19日まで、中国の広東省の大学でエスペラント語スペイン語を4ヵ月間教えていたという。その報告は世界エスペラント協会の機関誌『ら・エスペーロ』で紹介されていた。彼は正真証明の活動家だった。

 部屋に行ってみるとパソコンを立ち上げていた。彼の説明では、中国の大学でエスペラント語を教えていたが、そのときの女生徒と「スカイポ(スカイプ)」でつながっていた。何か話そうという。彼はハッキリした口調でゆっくりと相手に話しかけた。実に分かり易い。会話も短くて初心者には、きっと聴き取り易いはずだ。次のように話しかけた。
「あんたは、日本人は嫌いだと、言ったよね。でもエスペランチストはスキなんだろう」。女性の笑い声がインターネットで聞こえた。

 簡単な幾つかの挨拶を交わした後で、彼は日本人の私が旅の途中でバレンシアに滞在していることを告げた。私も挨拶し、ポーランドの世界大会へ参加することを話した。私が他の外国語を話さず、自国語以外はエスペラント語だけ話せることについて、「サージャ・ホーモ(賢し人間)」とA氏は生徒に言った。これは面白い表現だと私は思った。彼は会話にたびたび冗談を入れた。ネット会話は30分間ほどで終えた。中国とヨーロッパの時間差は7時間、中国の時間は日本と同じように先に進んでいる。バレンシアの16時は中国の23時である。

 A氏に頼んで、次の受入者、ベジエ(フランス)のP氏へ、私の到着時間を知らせるメールを送ってもらつた。

 その後、彼は自動車でエス会事務所まで私を送ってくれた。彼の家から出るとエス会事務所と逆の方向へ車を走らせた。この街の交通ルールでは、自動車の左折が禁止されていたのだ。明日は会えないとのこと、私一人でバレンシア駅に行ってくれとのこと。お礼の挨拶をし、ポーランドの世界大会で、また会おうと言って別れた。事務所にっ戻ると17時になっていた。