アウシュビッツ訪問

 7月17日〜25日まで、クラクフ市(ポーランド)でエスペランチスト教育者の会議が開催されていた。その参加者たちの一日遠足として「アウシュビッツ訪問」が計画されていた。K氏の計らいで、この訪問に特別参加することができた私は、バスの中や一緒に食事をしながら、初めて出合った人たちとエスペラント語で話をすることが出来た。

 私は集合場所へ来るのも2回練習したので、通勤時間帯で結構交通量も多く、バスの利用者も多かったが、今朝8時前に集合場所へ来ることが出来た。
 8時半集合なので貸切バスは、もう来ていると思っていたら、参加者さえ誰も集まっていなかった。10分〜15分遅れてやって来た老人の胸に緑の星のバッチを見つけて、エスペラント語で話しかけると、その人も参加者だったが、まだバスが到着していないことに、やはり疑問を抱いていた。

 なんと集合時間が1時間延期されていたのだ。おまけに遠くからやってくる貸切バスも、途中で交通事故に巻き込まれて、1時間遅れて到着した。こんな騒動があってバスはやっと発車した。
 私は挨拶をして老夫人の横に座った。彼女は80歳過ぎていて、右腕を白い布で首から吊っていた。どうしたのかと訊ねたら、この会議に来て直ぐに転んでしまい、右腕を骨折したのだという。

 しかし話す言葉は元気そのもので、腕は痛くないと言い張った。途中下車してレストランで昼食をする予定だが、夕食代わりに固めの丸パン2個と小さなジュースの紙パック1個、小さなりんこ1個とプラム2個が配布された。
 ところが彼女は夕食の料金を納めていないようで、受け取ることが出来ない。これに彼女はご立腹だった。というのは、会議中の夕食を含めた料金は全部支払済みなので、更に今日の分の夕食費用を払う必要はなく、当然パン袋を受け取ることが出来るのだ主張していた。

 詳しい経緯など知らない飛入り参加の私には、彼女を説得する材料など何もない。だが私が夕食のパン袋を受け取ると、何故アンタは受け取ることが出来るのか、と言ってきかない。私は参加費と食事代を含めて45ユーロ払っているので、受け取る権利があるのだと説明したが、彼女は納得しない。まあ、元気な女性がいるものだと感心した。

 途中で昼食のため、地下レストランに入ったが、とても雰囲気が良くて、出された料理もとても美味しく、量も十分だった。勿論ワインやビール付で、デザートは大盛のアイスクリームだった。

 ついに念願の忘するべからざる場所「アウシュビッツ」に到着した。この場所についてはテレビのドキュメントで何度か観ていたし、旅行前に日本でインターネットを覗いていたので、内部の様子は、ほぼ頭に入っていた。

 しかし、現地に実際に立ってみると、やはり背筋を正さずにはいられなかった。現地の説明員がポーラント語で話し、エスペランチストエス語に訳し、その言葉をイヤホンを通して参加者は聞くことが出来た。
 残念ながら私のイヤホンは途中から機能しなくなった。どうも電池が切れてしまったようだ。現地の説明員は予備の電池を持っていない。それで、エスペラント語に通訳してくれる男性の直ぐ横に、へばりついて観て廻った。

 展示されていた衣類、子どもの靴、カバン、髪の毛等など、信じがたい現実がそこにあったのには、やはり驚かされた。銃殺のため立たされたブロック塀の前には、幾つかの献花もあった。

 施設内は撮影禁止とされていた。時間の余裕が無く、見学はこの土地ビルニスだけで帰ることになった。予定の時間では18時頃会議場へ到着するはずだったが交通渋滞で遅れた。19時半から分科会が開催されるらしい。私も参加しないかと誘われたが、一人旅で明日は世界大会会場のビヤリストックへ行くから残念だが遠慮する、と言って断った。

 クラクフの学生宿泊所に戻ったのは20時近かった。バスの中で貰ったパン袋を部屋の中で明けて食べた。明日の朝食用の買出しのため、何度も利用した売店に行った。パンを1個と果物とジュースを買った。喉が乾いた今日一日の疲れも100%ジュースが癒してくれた。

 ビニールヒモにぶら下げた洗濯物をたたんで旅行カバンにきちんと入れた。忘れ物は無いか調べ、シャワーを浴びて、ベッドの上に横になって、窓から夜空を眺めながら、最後の夜を過ごした。