一日遠足の集合場所確認

 クラクフではエスペランチストの教育者たちの会議が開催されていた。会場は大きな大学の高層ビルが建ち並んだ近くにあった。その一日遠足が明後日(23日)予定されていて、行き先は「アウシュビッツ」なのだ。

 私がクラクフに滞在するのも、この歴史的な場所を訪問するためだった。というのは、20世紀の人間は、日本の廣島・長崎の原爆記念館とポーランドアウシュビッツを、自分の目で見て、人間の愚かさを確認しなければならない、ということを以前耳にしたときに、是非とも生きているうちに、自分も実行したいと願っていたからである。

 日本で旅行準備をしながら、K氏とインターネットで打ち合わせたときは、K氏が同伴できなくても、誰か他のエスペランチストが同伴できるだろう、ということだった。しかし前述の一日遠足に参加できれば同伴者は不要となる。それでK氏は直接会議の世話人に私のことを話して、特別参加の了承を取り付けていたようだった。

 どんな方法でも、アウシュビッツに行ければよい。それで私もK氏の提案に賛同した。45ユーロ(約6000円)で昼食と夕食付きのバス旅行、アウシュビッツでの入場料も含まれていたので、そう高い費用ではない。

 当日の集合時間と場所を聞いて、その場所をK氏に教えてもらい、帰宅することになった。ところがK氏は、ここからバスに乗って一人で帰れと言う。ここへ来るのにバスを利用し、その路線を戻ればよい、というのではない。ここまで三人で歩いてきたのだ。バスの番号と行く先と、乗り換え場所と、降りる駅名などを教えてくれなけば、一人でかえれる訳けなど、方向音痴の渡しに出来るわけがない。

 K氏に私はこう言った。「あなたはここの住人だから、どこにでも行けるだろうが、私は今朝この街に来たばかりで、しかもバスさえ乗っていない。一人で帰れるわけがないではないか」と捲し立てた。すると、J君がK氏と何やら話をして、私と一緒に帰ってくれることになった。J君に感謝感激である。

 バス停で路線の見方や、バスの番号や、途中乗り換え駅の位置や、最後の降車駅名など、彼に教わることをメモした。二人で宿泊所まで戻ったのは16時前だった。明後日の一日遠足当日(23日)間違えないで集合場所へ行ける自信など、私にはとてもない。

 20時頃までヨーロッパは明るいので、早速一回使用(4H)のキップを買って、一人で往復してみることにした。先ほどJ君と戻ってきた道を逆に辿る方法だ。2時間ほどかけた結果はうまくいったので安心した。
 明日(22日)もう一度確認すればよい。ドジを踏んで、アウシュビッツに行けなかったら、67歳の私には二度と訪れる機会はない。この機会を逃すまいと懸命になる自分がいた。

 この街の交通信号も変っていた。各レーン毎に、1個玉のランプが設いていた。対向6車線の車道にも驚いたが、結構スピードを出して車が走っているのにも驚いた。