クラクフ(ポーランド)散歩

 クラクフ駅に少し遅れて列車は到着した。ホームに降りると、私に向かって若い青年が近づいてきた。エスペラント語で私の名前を確認し、父はもう直ぐここへ来るからと言った。

 
握手をして2人で歩き出すと、数分後にK氏が階段を上ってきた。良く来たねと挨拶を受け、宿泊所紹介のお礼を述べ、一応ホテルへ向かうことになった。クラクフ駅前のコンクリート広場の途中から左手に抜けて、路面電車に乗り、10分ほどで降りて、5分ほど細い路地に入り込めば、目指す学生宿泊所についた。日本の「ユースホステル」みたいな施設だ。

 学生宿泊所のオーナーは不在だったが、K氏と事務員とは顔見知りで、直ぐに宿泊の手はずをしてくれた。部屋は2階に上がってすぐだが、当然ながら旅行カバンを持って上がらなければならない。ひとりで泊まるには充分な広さの2人用の部屋だった。

 食事は1階の食堂を利用できるので、一応食べられる物を紹介しておこうとJ君が案内してくれた。13時からクラクフの街を案内するので、その時間に、ここへ迎えに来るからと言われ、ひとまず2人と別れた。


 11時過ぎで少し早いが、食堂で皿に盛り合わせた料理とスープを頼んで昼食にした。特に腹がすいていた訳ではなかったが、これがこの街の味かと思いながら全部残さず食べた。

 13時にK氏とJ君が迎えに来てくれた。宿泊所は大通りから少し入り込んでいたので、歩いて大通りへ出ると、そのままクラクフ駅の方向へ歩き出した。大通りには路面電車とバスが走っていた。そのほかに自動車の流れも結構ある。教会に立ち寄り、憩いの広場に行き、アイスクリームを3人で食べた。

 両替をしたいと言ったら、J君が道路沿いにある両替所に掲示されているレート版を何ヵ所も見ながら、ここが一番換金率が良いからと案内してくれた。何度も両替するのは面倒だし8月10日頃までの20日間ポーランドに滞在するので100ユーロ両替した。

 そのまま観光散歩を続けようとしたら、J君がK氏に薬を渡して飲ませようとした。何の薬かと訊いたら、確かニトロと言ったようだ。どうも心臓の薬のようだった。これは「大変なお願い」をK氏にしてしまった。と思ったが、大丈夫だというので、そのまま観光を続けた。

 途中で入ったカトリック教会の内部は、すべて金箔で装飾されていて、まるで金閣寺のあの荘厳さを感じた。フランスでも、スペインでも、イタリアでも、スイスでも見たことの無い絢爛豪華な教会だった。

 エスペランチスト教育者組織(ILEI)の会議が、この地クラクフで開催されているので、そこへ行こうとK氏が提案した。私はあまり気が進まなかったが、その団体がアウシュビッツへの遠足を計画しているらしいという。それに参加すれば良いと提案され、会場まで炎天下を3人で歩くことになった。到着すると、なんともう2時間も歩き続けていたのだとJ君がお教えてくれた。これには多少参った。