ドナウ川からの突風

 S氏の家は、高い樹木のある公園の直ぐ傍にある、がっしりした石造りのアパートの1階で、彼は一人で住んでいた。家族はドイツに居るという。しかし毎週奥さんがブタペストまでやってくるし、彼が毎月1回ドイツまで自動車で帰るのだという。
 彼の仕事は会計士で、幾つかの会社の経理を指導することらしい。という訳で、夜にならないと仕事から手が離せない。それでZ氏が私をここまで送ってくれたのだった。

 昼食は持っていた乾パンで軽く済ませて、この付近を散歩しながら何か食べようと考えた。
 外は少し薄暗く風もあるようだ。薄いビニール製のジャンパーを取り出し、ショルダーバックは持ち出さなかった。彼が不在の場合に、私が家に戻った時のカギの開け方について説明を受け、合カギをひとつ貰って外に出た。
 空は少し薄暗く風もやや冷たく感じた。大通りのある方向へ歩き始めて10分程行くと、電車とバスが通る大通りへ出た。気ままに左へ曲がり100m程行ったところで、大粒の冷たい雨が降り始めた。と同時に雷の音が聞こえ始めた。
 直ぐ止むのか、このまま降り続くのか、私には想像がつかない。兎に角後戻りしようと振り返ると風が強く吹き付け、雨も斜めに降りつけた。これはまずいと感じて、近くの建物の軒下で雨宿りをしようと思ったら、ここはヨーロッパ、日本のように建物にヒサシなどない。

 雨の量は多くは無かったが、急に突風が吹き始めた。たちまち身体を斜めにして、しっかりと足で踏ん張らないと前に進めない状態になった。まるで台風が突然にこの地域だけを襲ったのではないかと疑うほどだった。
 一体なんでこんなことが起きたのか。通行人は一斉に駆け出した。道路沿いの家の二階から、植木鉢が5m程前に落ちて粉々に壊れて散った。20m程進んだら、今度は窓ガラスが割れて落ちていた。
 ひとり旅の途中で怪我をしては大変だと、前方の上部を伺いながら私も駆け出した。持病の喘息のせいで、少し息使いが荒くなり、呼吸を整えながら小走りに、S氏のアパートに戻した。
 帰る途中の道路には、結構大きな街路樹が倒れ、枝も折れて落ちていた。プラスチックの缶が転がるように道路を駆け抜けていった。僅か20分間の出来事。やっとのことでS氏の家までたどり着く頃には、雨も風も止んでいた。公園の近くでも木が一本、根こそぎ抜かれて倒れていた。
 外出するのは諦めて家の中で過ごした。