Lさんは花屋さん

 停めていた車の中には、少し年輩の男性が運転席に座っていた。痩せ型で白いアゴヒゲをつけた顔立ちは、日本のミュージシャンのミッキー・カーチスにそっくりだった。彼女の叔父さんで、いつも仕事を手伝ってくれるのだという。彼はエス単語の幾つかは知っているようだったが、私は身振り手振りをして、エス語で話しかけた。

 私が座席の真ん中に座り、彼女が右側に座り、彼が左側で運転した。ミニバンといった型の車で、後部には色々な花や花器など、バケツも積んでいた。車は年代物で、走行距離は22万キロを超えていた。右ドアの外側のノブは壊れてしまってなくなったままだ。ちょっと心配になって尋ねると、オートロックをするので大丈夫だと叔父さんは平気だった。ボルドーでの、人気の無い道路わきに駐車したときの、あの心配心に似ている。

 彼女は8年前に、このブタペストに来たという。現在売店を7つ持っていて、それぞれ人を雇って経営していた。従って彼女は、花の卸し作業をしている。今日もまだ3ヵ所、立ち寄る店があるというので車で廻ることになった。狭い売店には飾り花用の道具や、そのまま飾れる鉢植えも沢山置いてあった。持って来た花を渡し、明日の注文を聞いてメモをして次の店へ行く。

 彼女の家は駅からかなり離れていて、車を飛ばしても30分以上かかった。古い大きな家を改装したようで、なかに入ると先客のエスペランチストがいた。

 挨拶を交わすと、その背の高い中国人の男性が、自分を知らないかと私に言った。見覚えはないし、知らないと返事したら、何と武漢市のP氏だった。ここに3日間滞在していて、明後日(17日)には、ハンガリーエスペラント大会に参加するため出発するという。

 ポーランドの世界大会へ参加したいと計画したが、色々な制限があって行けなくなったそうだ。それでも武漢市の若い女性を一人、世界大会へ参加させることに成功したと話した。そういえば中国からの参加者は、ビザが容易に取れず、多くの人たちが世界大会参加を断念したと聞いていた。
 P氏は、とても流暢にエスペラント語を使った。ただ少し早口だったので、私は何度が聞き直さなければならなかった。

 実は4〜5年前に中国へ水墨画の交流をねらって、私はひとり旅を計画した。その頃武漢市や南昌市の地域のエスペラント大会が開催される予定だったので、P氏はその大会参加について私を誘ってくれた。
 そこで、パソコン使用のエス語学習ソフト「Kurso3」と、エス語読み上げソフト「Esptapi]とエス辞書ソフト「Esden」の3つを、大会参加者に贈呈する提案をした。

 日本からは持って行けないので、原本をP氏へ送り、彼がコピーすることにした。そのCD購入代金として3000円を私が彼に寄付した。
 残念ながらその時期に、突然反日行動が起こり、中国語は全くわからない「ひとり人旅」の私はしぶしぶ参加を断念した。それ以後もP氏とは何度かメール交換したが、最近は遠のいていた。
 Lさんの夫Z氏はエス語を話さない。しかし単語はかなり分かるようだった。外国の地図を集めていて、地図を見るのが趣味だった。私が使わせてもらった部屋は2階で、Z氏のデスクトップ・パソコンが机の上に置かれていた。ここで3晩滞在する。

 22時を過ぎて皆で夕食をした。明日は美味しい料理を作るからと、忙し過ぎるLさんは言った。普段から食事の量が多くない私だが、旅の途中はパンを主体の食事ばかりしていたので楽しみだ。シャワーを使って寝たのは真夜中だった。