D氏の四人家族

[次の順番でお読みください。]
 1.トリノ駅の薬局
 2.ミラノ駅前で休憩
 3.トリノ(イタリア)、ミラノ(イタリア)からローザンヌ(スイス)へ
 4.D氏の四人家族
 
 ローザンヌ駅には予定時刻より少し遅れて着いた。情報案内所で待っているということを知らせていたので、その場所を列車待ちの人に聞きながら、やっと辿り着いたが、私を探している人影はなかった。
 あまり広くない情報案内所の付近には、雨のために人で混雑していた。それで5〜6m離れた人の動きも、じっくりとは見れない。10分ほど待ったが出会えなかったので、命綱の日程表を取り出し電話を掛けた。スイスではユーロが使えると聞いていたので、公衆電話機を使った。

 電話の向こうから、女性のハッキリした言葉で、エスペラント語が聴こえた。いま駅に居ると伝えると、「D氏は二人の子どもたちと駅で待っているはずだ」と彼女は答えた。
 エスペラント文字の入ったTシャツを着て「ん日本人からの連絡は無かったかと、たった今彼からの問い合わせの電話を受けたところだ」という。約束の場所で待っているから、彼に伝えてくれ、と頼ん受話器を置いた。

 5分も経たないうちに、D氏が目の前に現れた。雨が降っているので傘を持っていた。ひと先ずアパートへ戻り、雨が止んだら近くを観光しよう、ということになった。
 駅からアパートまでは路面電車か路線バスが使える。「どちらか早く来た方に乗ろう」という。とっさに私は「まずい」と感じた。雨の中を重たい旅行カバンを押して、走るのはごめんだ。が、仕方が無い。私は訪問客だと観念した。

 私の不安は的中して、30〜40mほど離れたバス停へ4人で走ることになった。15分ほどでアパートの直ぐ近くのバス停に到着した。さいわい小ぬか雨。ベランダから見下ろしていた母親へ、子どもたちが大きな声で帰宅を告げた。私は手をあげて、いつもの「サるートン」。勿論ここにもエレベータはない。利き腕の左手に、旅行カバンをぶら下げて2階まで上った。

 アパートは綺麗で、広い子どもたちの部屋には沢山の玩具が散らばっていたし、沢山の絵本なども本箱に溢れていた。流石に教育者の家庭だ、と感じた。私はこの部屋を使わせてもらうことになった。再度挨拶交わし、名前を告げて受入に感謝した。この家族は明後日(9日)から別の街へ避暑に出かける計画だという。それで、1泊のみの滞在となった。

 コーヒーよりもジュースがいいから、とご馳走になり、雨は止んだが観光は明日にしようと決まり、子供たち二人とD氏と四人でアパート周辺を散歩し、食料品店まで買物に出かけた。
 2日後には家族で避暑の旅に出る計画なので、食料品の買い置きは少ない。私の食べ物の好みを聞いて調達となった。私は特に嫌いなものは無いが、こってりした油物は普段食べない。それよりも私の胃袋は普通の人よりずっと小さくて、食べる量が少ない。
 アルコールも宴会など以外は、普段は飲まない。それで時々「イオメーテ(少し)」というエス語を、無意識で使っていた。それを聞いたD夫人は「スィンヨーロ イオメーテ(「少し」さん)」と私に名付けたのには、妙に滑稽だと感じ、「ボーナ イデーオ(いいヒラメキだ)」と私は笑顔で答えた。

 10歳と7歳の男の子と一緒の食事は賑やかだった。食べ物の好き嫌いもあり、母親から何でも食べるように言われていた。日本のアニメについても関心を持っていた。

 折角エス語を少し理解できる子どもたちなので、インターネットを使って、例えば住んでいる家のカギの数は幾つか等、外国の事情を調べて比較すると面白いよと母親に言ったら、そうだね、とうなずいていた。

 私の家では、夏の夜など、カギを掛けずに、窓から風が入るように網戸のままで寝るのだと言うと、驚いていた。