トリノ、ミラノからローザンヌ(スイス)へ

PLano: 〔de Torino (Porta nuova) <ESc9715 (09:25)> al Milano (Centrale) (11:20)〕 〔de Milano (Centrale) <EC122 (12:25)> al Brig (14:40)〕 〔de Brig <IR1428 (15:28)> al Lausanne (17:15)〕
Realo: 〔de Torino (08:50) al Milano (10:45)〕 〔de Milano (Centrale) <Treno=122, Carrozza=311, Post A Sedere 65Fi (12:25)> al Lausanne (16:14)〕
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 ミラノ駅を出て1時間ほどたった頃、空に雲が次第に拡がり、青空がどんどん狭くなった。遠方の木々が茂った高い連山の山際が、ぼやけて続いているのに気付いた。線路に沿ったり離れたりしているアスファルトの道路を、時々大型トラックが走って行った。草原や畑が続く緑のジュウタンの中には、10軒ほどの民家が点々と現れた。その家々を目指して細い道路が一直線に伸びていた。

 やがて小雨が降り出し、窓ガラスを斜めの線で切って走った。近くに見える道路では、自転車に乗った男が背をまるめて、まるで徒競走をするかのように、両足を激しく回転させていた。ガソリンスタンドには1台の車もいなかった。

 かなりはっきりと山肌が見える距離まで列車は近づき、岩を切り出した傷跡がはっきりと見えた。雨はもっと激しくなった。列車の外は、だんだん冷え込んできたのだろう、窓ガラスが白くくもり始めた。
 列車内の温度計は、外気16℃、列車内24℃を表示していた。しかし窓の外を見ようと窓ガラスに顔を近づけていた私の体感はもっと寒い。リュックに入れておいたセーターを早速取り出して着込んだ。

 線路の両側に山が迫ってきて、線路のすぐ横を川が流れていた。水の量は少なかったが、流れは案外急で冷たそうに感じた。川底にはゴツゴツとした大きな岩が転がっていた。列車は大きく左に曲がりながら進んだ。薄鉛色の空も低く迫ってきた。線路に沿った車道はいつのまにか見あたらない。

 更に半時間ほど進むと、霙(アラレ)交じりの雨が窓ガラスを叩き始めた。急な冷え込みや低気圧の長い停滞は、私の持病喘息に悪い。病状は軽いのだが、発作が出易い環境下では、直ぐに私の身体は反応する。今回の旅行のために主治医から処方箋代わりのメモを貰って来た。そして旅行の開始点をパリ(フランス)に置き、直ぐにヨーロッパを南下する計画を立て理由は、そうゆうことなのだ。

 列車が走っていた薄暗い谷間の幅が次第に拡がって、雲に隠れた高い山々が見え始めた。頂上近くは殆ど見えないが、ところどころに白い筋が何本も見えた。雪にちがいない。きっとアルプスの一部を私は今見ているのだろう。散在する家々が見え始めると、平らな土地も多くなった。

 やがて湖が始まり、これがレマン湖ではないかと想った。雨は小降りになったが、風が斜めに結構つよく吹き付けていた。
 トリノ(イタリア)でもミラノ(イタリア)でも天気だったので、ビニール製のレインコートは旅行カバンの中だ。列車の中では取り出せない。ローザンヌ駅に着く頃には、雨が止んでくれるのを願った。この2週間の旅で、傘の要る雨は初めてだった。

 16時を過ぎるとローザンヌ駅にまもなく到着する。さいわい雨は小降りだ。駅でエスペランチストに、首尾よく会えることを祈った。