若者との別れと月見草

[「ぶどう畑と古城観光」を先に読んでください。]

 やはり庭のテーブルで夕食となった。昼に古城観光へ出かけるとき、テーブルの椅子を斜めに倒して出かけたので、雨は椅子に溜まっておらず、乾いた布で拭くだけですんだ。
 話題は退職した私の前の仕事や給料や現在貰っている年金に及び話は弾んだ。私が53歳で早めに退職した理由や、いつも世界エスペラント大会へ参加しているのではないことなど、いろいろな質問に正直に答えた。

 日本人にとってエスペラント語学習は難しいのかという質問に、私は次のように答えた。
 どの外国語も理解しない私にとっては、エス語はそれほど難しいものではない。6ヵ月間の通信講座を、35歳の時に働きながら始めて、10ヵ月掛けて終了しただけで、後はエスペラントの本や雑誌を読んだり、他のエスペラント会の機関誌を読んだりした経験しかない。

 中学校と高校の6年間に約2000時間も学習したと言われる英語ですら、全く会話を聴き取ることなど出来ないし、僅かに記憶している単語の発音さえ正しく出来ない。これが日本の英語教育だと説明した。それに比べるとエス語は自分にとって易しい言語だと云わざるを得ない。

 旅の途中で困った場合どうしているのかという質問には、日本語で話しかけると誰も相手にしてくれないので、先ずエスペラント語で話す。その後で英語の知っている単語を並べたり、メモを見せたり、身振り手振りで質問する、と説明した。M氏と奥さんは「ほう、そうか」という様な顔をしていた。

 M氏のポケットベルが鳴って、仕事場からの夜間呼び出しがあったのは、もう22時を過ぎていた。二人の若者も同行するが、明日(27日)早朝には別の都市へ旅立つという。私は彼らに別れを告げて、是非エスペラント語学習に挑戦するようにM氏と一緒に勧めた。

 広い庭のいたるところに雑草のように生えている月見草がとても美しく、その開花から萎むまでの僅か7〜8分間の命にも心を動かされ、数十秒おきに何枚も写真を撮った。

 明日は別れの日である。旅行カバンの荷物を詰め直さなければならない。少しでも重量を減らすために、持参していた乾パンや日本の野鳥の鳴き声を収録したCDを、お礼に渡すことにした。

 M氏から明日の汽車の時刻を間違えないよう確認するようにと云われていたので点検した。ところが、何とM氏に手伝って貰って買った切符は、予定日(27日)がとれずに、今日(26日)の切符だったのだ。彼も私もスッカリ忘れていた。今となってはどうしようもない。M氏に私が間違っていたことを話すのも気まずい。明日ボルドー駅に行ってから、また切符を買い直すことにした。

 シャワーを浴びてベッドに横たわったのは24時を過ぎていた。軽く背伸びすると、やはり右脚に少し痙攣が起こる。両足をマッサージして、筋肉痛の塗り薬を使った。昼間数時間歩いて廻ったのに、そのときは何にも痛くなかった。これに慣れる以外に仕方なさそうだと覚悟した。