大き過ぎる家と夕食

 曲がりくねった坂を10分程上ると直ぐに彼の家に着いた。すごく大きな二階建ての古い建物だったが、彼はひとりで住んでいた。彼は経営者、二人の男性を雇っていて、仕事内容はカメラの修理や、パソコンの保守や、携帯電話の修理や販売もしているようだった。

 私が寝る部屋を決めてくれた後、机に着いて何やら書類の整理を始めた。暫くして幾つかの電話器が、けたたましく同時になった。客からの電話らしい。どこの部屋にいても、直ぐに電話に出られるように、家中の全ての電話器を連動させているのだと説明してくれた。

 まだ仕事があるから、家の中で自由にしてくれ、テレビも自由に観てよいから、と言い残してR氏は出かけた。余りにも大きな家なので内部を少しばかり見学させてもらった。その後家の周辺をひとりで散歩した。朝から天気は良くて、帽子を被っていても暑かった。

 夕方になって彼が帰り、いきなり私に庭に出ろという。彼は珍しい乗り物を動かしていた。日本に居たころテレビで見たことがある、四つのジャイロコンパスが仕込まれた二輪車だ。一度乗ってみたいと思っていたやつだ。

 教えるので運転してみろ、というので台に恐る恐る上がった。彼の指示通りに、姿勢を正しくして直立し、少し前に身体を傾けると前進した。次第に身体を後ろに反らすと後退し、直立すると停車した。
 そのまま前進し体重をゆっくりと少し左側に掛けると左に回転し、そしてまた前に体重を寄せると前進した。2−3回往復すると、もう心配なく運転できた。面白い体験だった。後で思い出したが「セグウエイ」がこの装置だった。

 17時を過ぎると、彼の部下として働いている男性が仕事から戻ってきた。庭の片隅に設けられたテーブルで三人で夕食をすることになった。そのテーブルの横には、ガスバーナーでバーベキューをする金網があった。薄暗く成った空には青い色がまだ残っていて、黄色の月も出ていた。厚手の肉の塊を幾つか並べて小宴会か始まった。勿論アルコールはワインとビール。

 私は旅行について報告し、R氏と私が話す言葉を聞いていた男性は、少しばかりのエス語会話を知っていた。R氏は私との話を、直ぐにフランス語で通訳した。私は英語も他の外国語を知らずに、10カ国を訪問するのだと話した。男性は興味を抱いた様子だった。

 ここでも、日本人にはエス語学習は難しいのか、というR氏の質問が出た。どの外国語も知らない私個人にとっては、易しいと言う以外に無い。日本のローマ字に似たエスペラント語は、学び始めるのに好都合な言葉だと報告した。また日本語の時制についても「---す」は現在、「---した」は過去、「---しょう」は未来というように、動詞の語尾も少し気を付ければ、規則性もあり、外国人にとっても日本語は、とりかかり易い点があることも伝えた。

 夕食か済んで皆で食器などを片付け、部下の男性に別れを告げて家の中へ戻った。広いリビングには大きなテレビがあり、R氏が自作のビデオを観せてくれた。なんと彼は世界エスペラント大会のコンクールで三度も入賞し、ビデオ部門の最高賞の金賞を貰っていた。
 その作品は「アルポィ デ スヴィスランド(スイスのアルプス連山)」というタイトルで、ナレーションは彼自身の声だった。約30分もあり、私が日本のテレビでよく観る、自然のドキュメント番組に比べて、少しも劣るところが無いほど、完璧な映像だった。

 彼はスイスでも有名なエスペラント活動家で、沢山のエス語関係のDVDやCDの販売もしていた。書籍もグッズも沢山持っていた。私は、これから先の訪問に、お土産が無くなってしまったから、何か買いたいと言うと、ペンダント形のボールペンと、灯りが点くキーホルダーを幾つか無料で私に分けてくれた。

 明日(11日)の汽車の出発時間を確認し、シャワーを浴びて寝た。