最初の受入者

〔この一日目の情報書込みが長くなりました。次の記事から先に読んでください。〕

 乗換駅で降りたのは良いのだが、次のモンマルトル駅路線までの行き方がよく分からない。パリ在住の日本人エスぺランチストMさんのメモを出して通行人に聞くのがいち番だと思った。
 教えてもらった通路には階段が続いている。古い大都会パリの地下通路は、私にとって実に迷路同然だった。少し上がっては下り、くねくねと続いている。
 20Kgの旅行カバンを片手に下げて、背中には約6〜7Kgのリュック、日本の階段よりは少し段差が高い外国人向きの、傾きも急なパリの階段は、67歳の私には、かなりの負担だった。

 やっとのことでモンマルトル駅から地上へ出た。どの方向が駅なのか分からない。また通行人にメモを見せて訊ねる。遠くを指差して「あの大きな時計の方だ」と言っているみたいだ。あまり平坦ではない道路で、旅行カバンを引っ張りながら、ついにモンマルトル駅へやって来た。

 情報案内所は長いエスカレーターを上った処らしい。約束の時間より30分程遅れている。とにかくそこへ急いだ。だか上のフロアには若者らしい人影はない。私の到着時間が遅れたので、下で待っているのかも知れない。

 そうこうしているところへ、背広姿の小柄な若者が近づいてきた。「チュ ヴィ エスタス エスペランチスト?」と話しかけると、「イェス」と返事があった。なんと幸運なできごとだ。握手をしてお互いに名乗りあった。手短に遅れた理由を報告した。

 彼の話では、いち度約束の時間に情報案内所へ来て、係員にも訊ねたが、日本人に会えなかったので、下のフロアを探していた、とのことだった。

 バスで彼のアパートへ向かった。洒落たアパートは古い建物の内装を綺麗に替えたもので、これまた狭い急な階段を3階まで、重たい旅行カバンを運び上げた。腕も脚もやや張り気味で、旅行1日目で不覚にも疲れを感じた。

 部屋で待っていたブラジル出身の彼の友達男女二人と、遅くなった夕食を取るため、石畳のデコボコした細い坂道を4人でぶらぶら歩いて行った。やがてその細い道路の両側に、小さな4人掛けのテーブルが並んでいる食堂街にたどり着いた。どの店でもアルコールの入った客で大賑わいだ。

 彼が行きつけの店で食事をすることに決まった。私はメニューを分からないので全て彼任せだ。勿論少しばかりのワインも飲んだ。野菜サラダや肉類の食べ物は随分と質素に思えた。
 日本の味に比べると淡白で、全然美食家ではない私でさえも、多くは食べられそうになかった。
 ワインを多量に飲むフランス人には、この位の味の方が良いのかも知れないと後で思った。

 やがて夜中の1時を過ぎ、店じまいが始まった。最後のオーダーのアイスクリームは、大サービスで山盛りで運ばれてきた。十分に美味しかったが、喉が冷え過ぎると、持病の喘息の調子が崩れる私は、少しの量で我慢した。

 彼のアパートへ戻って気付いたのだか、廊下の壁に備え付けられた小さな本棚には、日本マンガ(フランス語訳)が数十巻並んでいた。書名を記憶してはいないが、確かに見覚えのある本だった。

 シャワーを浴び、低目のベッドに横になって、精一杯背伸びすると、右足スネの外側に痙攣(ツリ)を感じた。急いで手でマッサージをして痛みを和らげ、持参していたシップ薬を貼り付けた。想いも寄らない事件だ。それも2ヵ月間の長旅の初日というのに。この痙攣は旅行が終わるまで、私を悩ませることとなった。

 出発前の2ヵ月間は、遠出の練習も余りしなかったし、多少心配しないでもなかったのに、今となってはどうしようもない。とにかく明日から頑張って2ヶ月間旅を続ける以外にない。こうして第1日目は終了した。