ニースの近くの街コンテ

Plano: 〔de Beziers (Francujo) <(09:03)> al Montpellier (Francujo)(09:46)〕
〔de Montpellier (Francujo) <Corail Tezo 4652/4653 (10:16)> al Nice (Ville) (14:25)〕
Realo: 〔de Beziers (Francujo) <Ter=76504 (09:03)> al Marseille (St Char, Francujo) (11:38)〕
〔de Marseille (St Char, Francujo) (12:19) al Nice (Ville) (14:57)〕
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 今日も天気は良い。朝食を済ませると、P夫妻は私を駅まで車で送ってくれた。南フランスの地中海沿いに、ベシエからニースへ列車は走った。近距離なので普通列車だ。海岸線の白砂の海水浴場には、もうかなりの人が遊びに来ていた。駐車場に溢れた数台の車は、少し離れた道路の脇に置き去りにされていた。やはり一度でいいから地中海で泳ぎたいと思った。

 駅のホームには、今日の受け入れ者Vさんが迎えにきてくれていた。東洋人の姿の私に、彼女はすぐ気付き、お互いに挨拶を交わして、彼女の家に行くことになった。自動車を運転するのは、背丈はあまり高くないが、がっちりした体格のご主人だ。

 にこやかな顔立ちの彼は余り喋らないが、かって自動車レースのドライバーだったと、後に彼女が話してくれた。彼の運転で、結構なスピードで家へ向かった。まわり道を彼は熟知していて、駅から川沿いに20分程走り、それから少しずつ曲がりくねった坂を上ったり下ったり、山の中腹まで入り込んだ。通常彼らは車の冷房は入れないと言う。窓を半開きで走るので、冷房嫌いの私には、涼しい風がありがたかった。

 家に戻ると、早速私にひと部屋あてがってくれた。さほど広くはなかったが、まだ新しい木造りの家は綺麗で、自由に使えるのには感謝した。家の裏手には広い空き地があり、菜園が作られていた。菜園から家に近い場所に寒暖計が置かれていたが、温度は32度になっていた。
 フード屋根のある大きなプールがあり水が張られていて、朝からの太陽熱で泳げるほどの温度になっていた。彼女は水着に着替えてプールに飛び込んだ、私も泳げと誘われたが、水着は持たないし、急に泳いで体調が狂っては、この先の旅行に大変と考え辞退した。

 私が休憩しているうちに、夕食の支度が済んで、屋外のテラスで3人で食事をした。ここでもパン・チーズ・ソーセージ・ハム・ジャムがテーブルに並び、ワインでエスペラント語に乾杯した。ゆっくりとした時間が流れた。

 Vさんがエスペラント語と出合ったのは、僅か3年前だった。初級講座を数回受け、ザメンホフ祭などのイベントや、外国からの訪問者を迎えて、エス語を独習していた。そんなわけで、辞書と薄い会話帳を手元において、私と話をした。ご主人はエス語を話さないので、彼女が通訳した。

 明日(4日)は自由に過して、明後日(5日)は、V夫妻の知人たちと遠足に行く計画が立てられていた。彼女は私の訪問に合わせて、7月3日〜5日まで仕事を休んでくれていた。