地下鉄でモンマルトル駅へ

 ほぼ予定通りに飛行機はシャルル・ドゴール空港に到着。旅行カバンを受け取り、出口へ向かう。
 飛行機の切符を旅行会社で購入するとき、入出国カードと貴重品申告書類について助言を求めたところ、カードはくれたが他は機内で聞いてくれとのことだった。10年ほど前の旅行と違って、到着後パリでは何も提出しなくてすんだ。
 急いで外に出て、早速日程表とモンマルトル駅の情報案内所へ行くメモを確認して、地下鉄乗り場へ向かった。

 地下鉄切符を自動販売機で購入して、スタンプチェックをし、駅へ続くゲートに入ろうとするが機器が切符を受け付けない。もう一度試みたがダメだ。早速困った。だれかに訊ねよう。やって来た男性をつかまえて、エス語で話しかける。
「パルドーノン([エス語で]すみません)」。「ヘルプ ミィ(助けてください)」。「マシーノ ネ フンクツィアス(機会が動かない)」。

 私が差し出した切符を手に取って彼はゲートに入れたが、やはりダメだった。すると彼は何か喋って私を手招きした。私が近づくと、彼は私を背後から抱え込んで、かれの定期を機械にかざすと同時に、二人一緒に身体とカバンと強く前に押し出した。通過成功。
 「コーラン ダンコン(ありがとう)」と私が告げると、笑いながら何か言って、足早にエスカレーターを降りていった。

 飛行機が到着して約束の場所まで1時間半、20時には待ち合わせ場所に到着する約束だった。しかし列車は終点の空港駅まで戻って来ない。とうとう20分遅れて発車した。

 私と同じ車両に背の高い若者が大きなリュックを背負ったまま、両手に袋を提げて乗り込んできた。重たいだろうと、そこへ荷物を降ろしてはと手振りで誘った。すると彼は「日本の方ですか」と日本語で私に話しかけてきた。

 二人の日本語会話は約20分ほど続いた。彼の報告では、日本に2ヵ月間滞在して、日本から今日パリへ帰って来たのだと言う。日本では関西地方を中心に観光し、四国では農家で田植えの手伝いをした。三度三度の白米ご飯は信じられないほど美味しくて、一生忘れることが出来ないし、こんな幸せな気分になったことはない、と話してくれた。

 モンマルトル駅に行くには途中で1回乗り換えなくてはならない。その駅名はメモしてきたが、そのことを彼に訊ねたところ、彼はフランスの南部出身で、パリの大学に通っているが、少し離れた地域に住んでいて、パリ市内の地理は十分わからないという。

 近くの乗客が、私たちの日本語会話を面白そうに聴いていたので、その男性に彼から質問してもらった。するとその男性は指を折って数え、あと4つ目が乗換駅だと教えてくれた。その男性に頼んで私と彼との記念写真を撮ってもらった。

 しばらくして日本から戻った若者は降りていった。私の乗換駅のひとつ前で乗客の男性は、再度私に次で降りろと指を1本立て、ウインクして降りて行った。