ひとりでぶらぶらとパリを散歩

 





 喫茶店でジュースを飲みながら15分ほど休憩した。その後で周辺をぶらぶら散歩した。大きな古い彫刻像を貼り付けたような建物があれば、モダンなガラス張りの建物もあり、黒猫ヤマトの事務所もある。大きな教会の扉を開き、そっと中に入ると、静かな空間がそこにあった。大抵の教会の扉は鍵が掛けられておらず、何時も自由に入って「お祈り」することが出来る。幸い観光者も少しの時間なら、静かな入室も許されると、勝手に解釈してお邪魔した。

 大観覧車を見ながら土産店が並ぶ道路を進むと、大きなスカーフを売っている店が見つかった。
 他の店の商品は中国製や香港製だったが、この店の品物には製作国のタブがなかった。しかし記事の厚さや絵柄の色は良いと思われたし、店主は何と日本人の男性だった。少し雑談して、本物の絹製品だということを確認してから、姉とその次女に、デザインが良さそうな品物を2点買った。少々高かったが、これが初めての買い物だった。

ルーブル美術館の中を覗いて

 ルーブル美術館には入れなかったが、ガラス張りの中を、ほんの少しばかり覗ける場所があったので、カメラに収めた。私の他にも何人もの人たちが、カメラに撮っていた。
 みんな今日入場できなかった観光客に違いない。私が次回来る機会は、殆ど着たい出来ないので、許してほしいと心でねがった。

 美術館で展示する品物は、いったいどこから搬入するのだろうと、疑問を抱いていた。地下室の入口になる鉄パネルをクレーンで持ち上げると、階段が現れた。運よくそんな場面を見ることができたのも、休館日に訪問した者への、特別サービスだったのかも知れないと思った。

待っている多くの入場者

 ルーブル美術館が休館日なので、エッフェル塔の下には、団体の観光バスが何台も来ていたし、何時間待ちになるのか想像もつかないほどの人影が溢れていた。
 幸いにエッフェル塔の真下は、日陰になっていて、今日の暑さから避けることが出来ていた。他の名所も、入場待ちの大勢の人の列ができていて、観光バスを利用して良かったと、我ながら思った。

 この観光バスは、走るルートの停留所であれば、どこで下車しても良い。そして、走るルートのどの停留所からも、再度乗り込むことができるシステムになっていた。

 私が利用した観光バスの他に2種類の観光バスが走っていて、そのルートは少しずつ違っているようだった。どのルートが一番良いのか私は全く知らない。右端の座席で、ひと回りすると、今度は一番左端の座席に移って、再度1周することにした。

 つまりあと2時間乗車し合計で4時間、この観光バスの上に座っていたことになる。太陽の日差しが強い一日だったが、それでも十二分に楽しむことが出来た。シャンゼリゼ通りの道筋に、絵画をずらり並べて売っている場所があり、芸術の街の様子を感じさせてくれた。
 有名なオペラ座の近くに来ると、更にゆっくりとバスは走った。観光バスの上から身を乗り出すようにして、皆はカメラのシャッターを押した。
 日本にいてテレビで見るものより遥かに素晴らしい建物に、改めて凄さを感じた。

 観光バスが一巡して戻ったのは凱旋門の近くだった。勿論何人もの観光客がお互いにカメラを撮っていた。太陽も少し西側に傾いたのか日差しはやや弱くなった。
 日本と違って湿度が少ないので、汗でぬれたシャツは、しばらくすると身体の温かさで乾いてしまっていた。

二階建て観光バス

 またまた今日も快晴、実にありがたい。そして午後にはとても暑くなった。今朝アパートを出るとき、「夏休み期間なので、ルーブル美術館に入るためには、多分4時間くらい並ばないといけないだろう」とT氏が言った。まあ行ってみて待ち人が多過ぎたら、観光バスに乗ることにした。

 地下鉄を乗り継いでルーブル美術館近くの出口から地上に出た。勿論ホームに下りたら直ぐに「ルーブルへ行きたい」と片言英語で話しかけ、首尾よく地上に上がる多分正しい出口を教えてもらった。

 ルーブル美術館の休館日は、なんと火曜日だという。てっきり月曜日が休館日だと、日本の知識で私は思っていたので、T氏に確認などしなかった。残念だが、それでも長い時間入館するのを待たなくてよいと思うと、これも良かったのかなと、なんだかほっとした。

 これで、2階建ての観光バスにゆっくり乗る決心がついた。ルーブル美術館の中庭にバスの停留所がある。29ユーロ(約3000円)払って2時間の観光だ。
 昨日買った果物と日本から持参したグリコのビスケット・サイズの乾パンとガスなしミネラル水が昼食だ。乗ったまま降りずに時間が来たら食べることにした。

 写真が良く撮れるように、車道から見て一番右側の座席を選んだ。
 乗車したときに渡されたイヤホンを取り出し、座席横にある日本の国旗がついたジャックに差し込んだ。すると日本語で案内が流れた。これは良いシステムだ。

 バスの2階から見下ろすパリの街は結構素敵だった。見事に彫刻された人物像が壁に張り付いた建築物の直ぐ近く、まるで手が届きそうな近さを、バスはゆっくりと走った。昨日Eさんと散歩したシャンゼリゼ通りをバスは進むと、今日はまた違った風景が目の前を流れていった。

二人の新婚旅行地日本について

 T氏のアパートまで、道に迷うこと無く無事戻り、夕食後に今日の報告をした。
 Eさんとの約束の場所である映画館前に、時間までに行けなかったのは、地下鉄のホームから地上へ出る時に、ひとつ違った出口を通ったようで、約150mほど離れた場所だったらしい、と話した。
 彼女から2度ほど電話があり、約束の場所で待つようにと言ったとT氏は説明してくれた。

 「明日は二人とも仕事があるので、私一人で自由に観光するように」と言われたので、出来ればルーブル美術館を見たいと答え、今日街で見た天井のない2階建て観光バス(ロープン・トゥール)に乗るから大丈夫だと答えた。

 二人は8月末に結婚し9月初めに新婚旅行で日本に来るというので、日本についての雑談となった。
 私が今回の旅行に出発する6月前に、実は彼は日本のパスポルタ・セルボ会員に、受け入れ打診のメールを送っていたのだ。

 約1ヶ月間日本を楽しみたいというのだが、東京周辺や、京都・奈良がメインだろうと思っていたら、萩市にも行きたいという。
 日本に関するガイドブックも7冊ほど買って、かなり読み込んでいた。なんと彼は日本語も少し理解できた。

 せっかく中国地方へ行くのなら、是非とも世界遺産被爆地「広島」を訪問してほしいと話した。その地方には、被爆者支援の活動的で有名なエスペランチストO夫妻が住んでいるので、一度コンタクトしたら良いと言い、日本に戻ったらO夫妻のメールアドレスを紹介すると約束した。

 彼らの関心の中には温泉や相撲もあった。温泉は多分体験できるだろうが、相撲は興行の時期ではないので難しい。しかし、相撲部屋では毎日のように稽古をしているので、東京の受入者に相談して、相撲部屋を見学する方法もあると話した。

大衆レストランで昼食

 長いシャンゼリゼ通りを戻りながら、少し遅くなったが昼食をとることになった。Eさんが何時も利用するという店だ。

 セルフサービス式のこの店には、信じられないほど多くの種類の料理が並べられていた。それぞれ料理毎にコーナーが分かれていて、サラダ・スープ・野菜の煮物・魚・肉・パン・ピラフ・チーズやバターやジャム・飲み物もコーヒー・ジュース・ミルク・アルコールもある。

 これはと思う物を取り皿にのせて、あいていたテーブルに着いて彼女を待った。彼女は大きなビーフを選んでいたが、全料金は19ユーロ(約2500円)、私は16ユーロ(約2000円)、日本での料金に比べるとやはり少し高いと感じたが、ボリュームは十分だった。

 沢山の人たちが食事を楽しんでいるのにも驚かされた。観光客の団体が入ってきたが、服装から見てヨーロッパ系の人達ではない。約200名は座れるほどのこのレストランの広さにも驚かされた。

 食事を終わって通りに出ると、スタンドショップで新聞を売っているのが眼に入った。一番下段に置いてあったのは中国語新聞だった。
 それほど多くの中国人がこの大都会パリに、住んでいるか働いているのだと、改めて教えられた。家に戻ってT氏に聞いたところ、韓国人経営のレストランや食堂も、沢山あるとのことだった。

 また地下鉄に乗り戻ることにした。乗換駅では、Eさんが通路の別れ場所まで一緒に来てくれた。
 地下道の壁には広告の絵だと想うのだが、2m四方もある大きな素敵な絵がずらりと描かれていて、絵画好きの私を喜ばせてくれた。

 最後の地下鉄ホームへ行く通路の中央で、果物を売っている若い中国人の男性が客引きをしていた。バナナ4本、小振りのりんご2個、大き目のプラム5個、ぶどうの小房をひとつ買ったら、日本語で「こんにちは、日本の人ですか」と話しかけてきた。

 彼は数年前に横浜に数ヶ月行ったことがあると言う。少しばかりの日本語を話せたし、日本はとても良いところだ、また行きたいとも言った。お金を払う時になって、「5ユーロ(約700円)でよい」と、私が差し出した小銭入れからコインを取り出した。
 少し勉強してくれたのかも知れない。お礼を言って「元気で、さようなら」と別れた。

サクレ・クール聖堂へ

 人波にまぎれて細い道路を進むと、ずらりと並んだ土産店が人目を引いた。どの店も間口は2m足らず、所謂うなぎの寝床式の店ばかりだった。勿論アイスクリームや飲み物の店も沢山あった。
 この道は自動車が、やつと1台通れる位の幅なのに、やはり何台もの自動車が、ノロノロと動いていた。


 この路地を20分ほど歩いていくと、正面に大きな聖堂が小高い丘の上に見えた。ここには沢山の観光客が押し寄せていた。階段をのぼって聖堂を私が見学する間、下の木陰で待っているから、という彼女に、脚の状態が良くない私は、聖堂まで行かないで、一緒に休憩することにした。
 豪華な造りのメリーゴーランドには、子供たちが乗り込んでいたし、それを見守る親たちも楽しそうだった。