足早の旅行の思い出

 休憩しながら思い出していたのは、この2ヵ月間の足早の旅だった。出発までに、一度も会ったことのない人たちが、世界共通語エスペラントを、お互いに話す仲間だと言うただそれだけで、親戚の一人が遊びに来たかのように受け入れてくれたことを、心から感謝せずにはいられなかった、というのが本当の気持ちだ。

 そして、この言葉の創始者ザメンホフ博士が生涯を掛けた、偉大なる「共通語による平和へんお挑戦」に、あらためて心から尊敬の念を抱かざるを得なかった。

 日本からやってきた痩せた老人エスペランチストの私は、きっといろいろ迷惑を掛けたことも有ったはずだ。
 ボルドー(フランス)では、夜間に仕事の緊急呼び出しで急がしく仕事場へ出かけた男性と奥さん。
 コンテ(フランス)では、私の訪問に合わせて夏休みをとってくれていた夫妻。
 ローザンヌ(スイス)では、数日後に長期旅行をするというのに、泊めてくれた家族。
 モリネーラ(イタリア)では、仕事の合間に観光をさせてくれた家族。
 ブタペスト(ハンガリー)では、忙しい花屋の卸仕事の合間に世話をしてくれた家族。
 ビドゴシチ(ポーランド)では、「HIBAKUSHA」の印刷を請負い、1週間休業して受け入れてくれた夫妻。
 アムステルダム(オランダ)では、手術後にもかかわらず泊めてくれ、二歳の少女と、まだ3ヶ月の赤ちゃんのいる若夫婦。
 ブリュッセル(ベルギー)では、納入間近の作品仕上げの手を止めて受け入れてくれた彫刻家と奥さん。
 最後のパリ(フランス)では、今秋に結婚して、新婚旅行に日本へ行く計画を持ち、沢山のエスペラント仲間に会わせてくれたり、一日自由な時間を私にくれた若い二人。

 私は殆ど土産物を持って行かなかった。と言うよりはカバンに入らず持って行けなかったのが事実だった。それでも軽くて日本を伝えられる物が良いだろうと、センス、日本語の文字が書かれた小型タペストリー、尺八や野鳥の鳴き声や童謡が収録されているCD、羊かん、にわか煎餅などは、少しだけ記念になったかもしれないと思い出していた。