ビヤリストック(ポーランド)からマルボルク(ポーランド)へ

Plano: 〔de Bialystok <15104/14105 (12:40)> al Malbrlk (19:05)〕
Realo: 〔de Bialystok <15104/14105 (12:40)> al Malbrlk (19:05)〕
−−−−−
 ビヤリストック駅に着くと直ぐに、マルボルク市からビドゴシチ市への列車時刻情報を得ようと、切符売り場で駅員に話しかけたが、こちらの要望はうまく伝わらなかった。若い女性が英語で私をサポートしてくれだが、これも成功しなかった。

 マルボルク市までの汽車は普通列車で、後部の2両に参加者は乗り込んだ。一般人も座っていたが、大方は他の車両に移動してくれた。しかし、私たちが使った部屋には若い男女が座っていて、車掌が誘導しても、どうしても他の車両に移らないと座り続けていた。

 まあ、そのうち降りるだろうと、残りの4人分の座席(実際は長いままの座席なので一人一人の座る位置は決まっていない)に6人が次々に腰を下ろした。

 同室者には韓国のL氏、世界エスペラント協会アカデミーのR氏、そして日本から参加した3人の中の医者H氏がいた。私は皆のとめどもなく続く、エスペラント語の雑談を聞きながら座っていた。

 私が参加したのは、一度も大会後遠足参加の経験がなかったこと、私の年齢から考えてポーランドの北の街へなどへ二度と訪問する機会はないだろうと思ったからだった。
 それに、オランダ、ベルギーを廻ってパリへ戻るには、1週間ほどポーランドで過ごす方が都合が良かったからでもあった。

 マルボルクまでの途中は何時間も平原を通り、時々町を抜け、汽車は走り続けた。
 予定より少し遅れて到着すると、直ぐに宿舎へタクシーで向かった。私とイギリス人の大柄なW氏とは同室で、学生宿泊所の利用をする手はずになっていた。

 他の人たちの多くは、近くの食堂付きの建物で、大部屋を使用していた。1泊朝食付で30ユーロは、ビヤリストックでのホテル料金と同じ、観光についてのバス料金や入場料も含んでいるので、安い費用だった。マルボルクまでの汽車賃10ユーロを別に支払う以外、つまり五日間で150ユーロ支払えば、全て支出は済んでしまうことになった。

 私たちの部屋は実は3人利用の予定だったが、ひとり参加者が減ったため、2人で使用することになった。同じ宿泊所にはブラジルの年輩夫婦が泊まった。奥さんはエスペラント語をはなさなかったが、V氏は流暢に話した。

 多くの参加者が宿泊している建物の食堂で夕食を夫々がとり、あとで夜のお城散歩に歩いて行く計画だっだが、私は部屋に戻って明日からの観光のために休養した。