宿泊受入者の返事

 トーマスクックの時刻表に載っている汽車の路線図をコピーし、その地図にパスポルタ・セルボの登録者が住んでいる町の印を入れた。その上で、旅行の基本計画にもとづいて、宿泊に適した街に住んでいる人たち18人へ、一斉にメールを発出したのは 2009年5月13日〜16日だった。数日後に最初の返事が来て、宿泊できるかどうかの交渉が始まった。

 旅行最後の訪問都市パリでは受け入れ者が見つからず、6月24日は出発日だというのに、直前の6月18日に、パリに住んでいる3人の登録者へメールを送って、返事を待っていた。

 イタリアではコンタクトさえ困難で、オーストリアのウイーンやザルツブルグでは受入者が見つからないので、途中下車してハンガリーのブタペストへ向かうことにした。

 最初のメール発出から約1ヵ月間、毎日パソコンを動かして良い返事を待ち続けていた。日本との時間差は8時間ほど、日本の夜中の12時頃になって、ヨーロッパからメールが届き始めた。従って、ひとつの応答は2日間かかって進んでいく。

 一度も会ったことも話したこともない他人から、エスペラント語を話す仲間だということだけで、出発前に17人から返事が届き、宿泊の約束が取れたことに、心底からエス語の偉大さに驚きと喜びを感じていた。

 パスポルタ・セルボの他に、困った場合に助けてもらうための本「Jarlibro(ヤルリーブロ)」(世界エスペラント協会が発行している、世界中に住んでいる代議員リストで私も登録を認められている)も持参することにした。